原爆稲の話
戦後70年の今年、原爆被害者の会が主催の「原爆と人間展」を見にいきました。昭和20年8月6日広島、同年8月9日長崎へアメリカによる原爆投下が行われた日になります。この原爆投下によって広島では約13.5万人、長崎で7.5万にも及ぶ一般住民が命を落としました。もちろんこれは一般住民の虐殺を目的にしたりっぱな国際法違反で戦争犯罪であることは間違いありません。
その原爆投下後の写真を展示された写真には爆心地では3〜4000度とも言われる熱線によって体が炭化された被害者の遺体や、焼けただれた皮膚の痛々しい被害者など多数の写真を見るとアメリカ(白人)の日本人に対する人種差別からくる虐殺であることを感じてなりません。
原爆もそれぞれプルトニウム、ウラン型と2種類用意され投下後すぐにアメリカ軍が被爆者の被害程度を調査していることからも人体実験のために広島、長崎の住民は被害に遭われたと言わざるを得ないのです。原爆投下による被害では原爆の熱線の他、放射能による被害で今なを後遺症で被害者を苦しめております。
原爆稲とは?
放射線は、人体への影響は明らかであると共に、植物にも影響があることが分かっておりそれが「原爆稲」と呼ばれる長崎の爆心地近くから採取した稲である。この稲は普通の稲のように秋には稲穂を付けるのですが、モミの半分程度が空モミとなってしまいます。
文部省組織の原爆被害調査団に加わった九大農学部により見つけられ、今では原爆稲の子孫として代々育てられております。70年が経つこれら子孫の稲もやはり同様に、半分程度は空モミとなって育つようです。これは原爆による放射線が稲のDNA遺伝子を破壊したことによる影響と言われております。
今では、原爆稲も全国で育てられるようになり、被害者の方々が年々少なくなる中、今でも原爆稲はあの原爆の記憶を忘れないよう何代にもわたり半分の空モミで育ち伝え続けているのです。
アメリカの戦争犯罪を忘れない!
戦後70年目、自分も含め日本人は過去の記憶を忘れつつあります。アメリカによる日本本土大空襲によって一般住民20万とも30万人とも言われる虐殺。
原爆の開発による検証のため広島長崎への原爆投下、これら戦争犯罪は決して許されることではなく、日本人に対して行ったアメリカの戦争犯罪を決して忘れず日本人としてのDNAに刻み後世に伝えることが必要だと感じております。
この「原爆稲」の様に。
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